薬剤師すずの書斎

コーヒーが飲めないライターの机はPCとお菓子の山

私、白血病になりました⑥~子どもは欲しいですか?~

兄弟, 少年たち, 愛情, 子供, 赤ちゃん, 新生児, 兄弟姉妹, 家族

病名を知らされて、すぐに治療に取り掛かるとしらされた。

その前に外来の診察室で、先生から一つ確認があったのだ。

 

「子どもは欲しいですか?」

 

どうやら、今回の抗がん剤治療を行うと、少なくとも5年は妊娠をしない方がよいということらしい。私の5年後の年齢を考えると、自然妊娠するには少し難しい年齢になっている。現在2人の子供を授かっているが、もしまだ子供を望むならば、抗がん剤を使用する前に、採卵のスケジュールも立てておかないといけない様だ。

 

この質問の回答は少し保留にしてもらった。少し夫と相談したかったのだ。正直な気持ちをつづれば、3人目が欲しいという気持ちが全くない訳ではなかった。しかし、過去2回の妊娠はつわりはひどく、妊娠中は身の置き場がない程息苦しかったのをいまでも覚えている。そして、二人目の出産時に子宮動脈まで切って、痛みでのた打ち回るという経験もしている。それなにまだ3人目を諦めきれていなかった。

それは、子供たちに家族をより多くの家族を作ってあげたいという気持ちがあったから。いずれ親である私は子供より先にこの世を去る。その時に、子供たちが寂しくないように寄り添って生きていける家族を作ってあげたかったのだ。例え、自分の身体がボロボロになったとしても。

ところがどうだろう。再度、夫の前でも先生から「子どもはどうします?」と質問があったとき、夫は

 

「あ、大丈夫です。」

 

即答だった。。。

あの、私の意見は聞いていただけないのでしょうか?

相談くらいしたかったのですが。。。

と、あっけにとられ私は言葉が出なかった。

そして絞りだした言葉は、

「はい。。。治療を優先します。」

としか私は言えなかった。

 

先生の前で「ちょっと一人で決めないでよ!」

と夫婦喧嘩を始めるわけにもいかず、何より夫が子供をもう望んでいないのだとはっきりわかり、ある意味この瞬間諦めがついたのだ。

それからはもうスッキリした自分がいて、自宅になんとなく残してあったベビー用品を片付けようという決心もついた。

 

だが、待てよ。。。。

今書いてて思い出したけど、夫の即答だけでなく、一瞬もこっちを見ずに先生に回答してた姿を思い出した。あら、少し腹が立ってきた。子供は私が産むんだよ!私の存在を忘れるなー!

 

 

病名や個人でそれぞれ症状や感じ方、副作用の有無などは変わってきます。ここに書かれていることは、私の体験談であり、ほんの1例です。同じ病気で不安になっている人や患者の気持ちが知りたい医療従事者や私の周りの人に状況を知ってほしいと思って書いているので参考程度に読んでくださいね。

 

私、白血病になりました⑤~冷静な自分と涙の夜~

赤ちゃん, 女の子, 睡眠, 眠っている, 眠っています, 眠っている赤ちゃん

「現代は2人に1人が癌になる時代」

と言われているし、私の祖父も伯父も癌で亡くなっている。

いつかは自分も癌になるんだろうなとは覚悟はしていたつもりだった。

そして実際に自分が癌ですと言われて思ったのは、

 

ついに来たのか、でも早くないかい?

まだ30代なんだけどな。

もう少し先かと思っていた。

じゃあ、第一弾ってことかな?

これを乗り越えたとしても、平均寿命までまだ倍以上の人生あるはずだが・・・

出し惜しみ?

それは、ご勘弁。

そして意外な場所の癌。

やっぱり人生って想像を超えてくるんだな。

 

以外と自分のことについては冷静だった。 

診断名ついても私ら夫婦は取り乱すことなく、涙することもなく淡々と医師の話を聞いていた。

あとから同席していた看護師に言われて改めて冷静だったんだなと知った。

「すごく落ち着いて話を聞いてらしたから、ご職業を聞いて納得しました。」

しかし、この冷静さは覚悟を決めたからではないと思う。夫婦で医療人だと、この兆候はまずいぞ、、、お、これはいい兆候だ!など、自分の症状や検査結果、医師の話し方で良し悪しが概ね理解できるからだと思う。

だから治療スケジュールも、薬の副作用がどんなんかも概ね想像がつくから心の整理がつけ易いのだと思う。

だが、この病気には良い治療方法があるからと言って、この病気で数か月後に自分は死ぬのか生きるのかはわからない。誰も分からないのである。医師が、必ず治ります!と言わないように。

でも確かなのは、治療しないと取り返しがつかない事になるということ。

 

だから選択肢は一つ、この治療、やるしかない。内服薬はすでに始まっていて、後戻りはできないのだ。冷静に先生の説明を聞けたから覚悟が決まったのかもしれない。

 

ただ、実感はない。ほんとに自分の採血の結果かなぁ?取り違いしてない?と心のどっかでずっと疑ってた。というか、ドッキリなんじゃない?って。それくらい、この時点では元気だった。

 

夫が帰って一人で病室にいると、家の事や子供の幼稚園や保育園や習い事の事など全て近くに住む母親か夫にLINEで指示するので大忙し。

先生の話を聞いてない両親に、この病気の事も話さないといけなかったが、色々一段落した時間が消灯時間になってしまった。会話で説明するとなかなか明るい話題ではないから母の心配が膨らんでいく光景が良そうできたので、取り急ぎ先生の説明内容が書かれた無機質な用紙の写メを、送り読んでもらった。それからわからない事があったら聞いてもうらおうとおもったのだ。

その日のうちにやらなくてはいけない自分の雑用が終わると、ふと寂しくなった。

いつも寝るときは隣に3歳の長女がいるのに、今日はいない。

というより、ずっといないんだなと思ったら、涙がでてきた。

あの温もりや寝息が恋しかった。

ママが何も言わずいなくなってしまって、状況を把握できないまま1人で寝てる長女を想ったらもっと涙がでてきた。

だめだ!泣いたら力が入ってしまって脳内出血するんじゃないか!?と恐怖心が出てきて、必死に涙をこらえるが、なかなか止まらなくて焦る。泣くんじゃない!出血するなよ~。絶対するな~。と祈っていた。

子供のことになるとだめだな~。

前回の④の最後にも泣いたと書いたが、この時のことだ。こんなに泣いたのは闘病中、最初で最後かもしれない。

 

shinnosuzu.hatenablog.com

 

 

ひとしきり泣いたらやっと少し落ち着いてきた。

 

けれど結局この日は、朝からなかなか経験できない事がありすぎて、脳の神経が興奮していたのか、ほとんど眠れなかったのだ。

 

2年前も3年前もつわりで何か月か入院していたけど、また長期入院か、、、忍耐忍耐。

 

 

 

 

病名や個人でそれぞれ症状や感じ方、副作用の有無などは変わってきます。ここに書かれていることは、私の体験談であり、ほんの1例です。同じ病気で不安になっている人や患者の気持ちが知りたい医療従事者や私の周りの人に状況を知ってほしいと思って書いているので参考程度に読んでくださいね。 

 

 

私、白血病になりました④~ついに正式な病名が判明~

マットレス, ベッド, 枕, 睡眠, リラックス, リラクゼーション

輸血開始

身体の異常を感じ、朝いちばんに受診し、外来で病名を告げられ、追加検査をして、やっと病室についたのが17:00。

しかも、外来から病室まではストレッチャーに乗って、横になりながら移動。

全然元気で歩けるのに、車いすではなくてストレッチャーを用意されたことに、またこの病気の深刻さを実感した。

病室は個室だった。

白血球が少なくて感染症にかかりやすいので、他の患者とは別の部屋にしてくれたのだ。また、1畳分くらいある大きな空気清浄機が病室に設置され、常に部屋の空気が浄化されていた。

やっと病室についても、入れ替わり立ち代わり病院のスタッフが出入りして、休まる暇を与えられなかった。が、その方が良かったのだろう。まだ病名がはっきりしないなか、一人病室で居ても色々想像し、要らぬ心配事が増えていたに違いない。

まず、大きな出血を予防するために、補液以外に輸血が開始される。

 

ソルコーテフ(輸血をした時に体が拒否反応をするのを抑える薬)

新鮮凍結血漿(血しょう:血液の白血球・赤血球・血小板以外部分、血液凝固因子が含まれる)を輸血

生理食塩水50ml

ソルコーテフ

濃厚血小板(血小板:血液を固まらせる働きがある)

リコモジュリン(血栓をできにくくする薬)

 

あれ?出血の予防のためになんで血の塊である血栓をできにくくするのかって?

これは、血管内の血液が過剰の固まることを防いで、血栓ができることで起こる臓器障害や出血症状を改善してくれるお薬なのだ。DICとい病気の治療薬でもある。

DICについては後でお話しするとしよう。

 

19:00

 

幼稚園終わりの子供のお迎えを済ませた主人も病院にやっと到着し、先生からのお話が始まった。

 

本日、婦人科に過多月経でいらっしゃいましたが、そこの検査で血球の低下を認めました。加えて、芽球という白血病細胞の増えていました。

骨髄検査も追加で行わさせて頂いたが、骨髄の中にたくさんの白血病細胞が認められました。病名は、、、

 

「急性前骨髄球性白血病」と思われます。

 

これは急性骨髄性白血病の一種で、特殊な細胞がみられるもので、M3という分類にあたります。

この病気は、t(15:17)といった染色体異常を認めることが多く、原因は分かってないが、血球の分化が障害され、成熟する前に芽球の状態で止まってしまう病気です。

 

要は、正常だと骨髄の中にある血液の赤ちゃん細胞(骨髄芽球)はそれぞれ成長していくと白血球や血小板や赤血球になるのに、私の場合は成長するはずの赤ちゃん細胞が癌化して、異常増殖してしまって白血球や血小板や赤血球を作り出せなくなっているようだ。

 

ひとまず、血球が減っているので、免疫や感染への抵抗を司る白血球の減少で感染症にかかり易かったり、赤血球の減少で貧血の症状や、血小板の減少で出血のリスクが高くなっています。特に今回の急性前骨髄球性白血病という病気は出血のリスクが高いです。怖いのは脳出血です。血小板が少ないので、出血しても手術ができませんし、治療が難しくなります。これで命を落とす方もいます。この2週間は山場なので、転倒など出血には十分気をつけてください。

 

こんな意識がはっきりしている患者に

今が山場です。

なんて言っちゃうんだな・・・

 

先生の話を聞いて、大体のことは把握できた。けれど、ちゃんとはっきりさせておきたくて、私は1つだけ最後に質問をした。

 

私「出血しないよう気をつけていても、自然に出血してしまうこともあるんですよね。」

 

おおむね答えは予想できていたけど、先生の口からちゃんと聞いておきたかったのだ。

 

先生「あります。安静にしていても出血が起こるときはおこります。」

 

いつ爆発するかもしれない爆弾を抱えているわけだ、私の身体は。

 

播種性血管内凝固症候群(DIC)というのが怖いらしい。

がん、白血病、細菌感染症などの基礎疾患にかかっている人によくおこる合併症だ。

がん細胞や細菌細胞のせいで身体の中で血液を固まらせる反応が起きて、全身に血栓が生じてしまう。そうすると、血管内の血流が滞り他の臓器までも悪くしてしまうのだ。それだけではなく、次にその血を固まらせる反応を止めようと、血栓を溶かそうとする物質が活発に働くようになり、臓器からも出血しやすい状況になり、脳出血や吐血、血尿などを引き起こす。

身体のなかで、無秩序にこの現象が起こる。だからDICは治療が難しく、死亡率が高い疾患なのだ。

 

治療への覚悟は決まっていた。だって理由は一つ。超絶ママっ子の3歳と1歳の子供を置いて死ぬわけにはいかないからだ。

ただ、私の覚悟だけではどうもできない爆弾は、私の手でも医師である先生の手でもどうしようも処理できないのだ。

このあと私は誰もいなくなった病室でたった一人で泣くことになる。号泣することになる。

病院の方針で、感染症や周りへの迷惑を考慮し、子供は面会ができないことになっていた。

このまま我が子に別れを言えないまま死にたくない。

まだまだお話したいこと、教えたいことがたっくさんあったのに。

永遠に起きないママが家に帰ったら、上の子は立ち直れないだろうな。

そんなことにはなりたくない。申し訳なさ過ぎて、死んで家に帰ることはしたくない。

生きて帰りたい。

生きて子供たちを抱きしめたい。

 

 

次回へ続く

 

病名や個人でそれぞれ症状や感じ方、副作用の有無などは変わってきます。ここに書かれていることは、私の体験談であり、ほんの1例です。同じ病気で不安になっている人や患者の気持ちが知りたい医療従事者や私の周りの人に状況を知ってほしいと思って書いているので参考程度に読んでくださいね。

 

私、白血病になりました③~初めての骨髄検査~

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まず骨髄検査ってなあに?

骨の中にある骨髄っていうところには、造血組織や細胞がある。

そこの組織を調べることによって、血液疾患の診断や病気の状態、治療効果がわかるのだ。

骨髄検査には、髄液を採って調べる骨髄穿刺と骨髄の組織を採って調べる骨髄生検があり、私はどちらも経験した。

病院に薬剤師として勤めていた時に、患者から採取した髄液は見たことあるが、実際の処置現場は医師や看護師でないために立ち会ったことはなかった。

どんな感じの検査かなんとなく書籍で読んで想像はしていたが、実際は少し思っていたのとは違った。

 

まず針を刺す場所・・・おしり!?

 

うつ伏せになって~。と言われあれよあれよという間に、ペロ~ンと半ケツ状態にされた。そしてイソジンで刺す部分を消毒し、上の写真のようにシートがかぶせられる。

正確にはおしりの上の腰骨に針を刺すのだ。(胸骨で検査する場合もあるが、私はすべて腰から行った。)

 

ボールペンの芯くらいの太さの針を刺します。

 

という説明は受けていた。しかし、ここからが少し想像と違った。

刺す回数が一回ではない!

 

そこの話は聞いていないよー。

 

と思いながらも、うつ伏せに寝ているので、検査の手技が一切見えない・・・。

 

せめての救いが、担当医がこまめにこれから何をするかをの声掛けをしてくれていたことだ。

まずは麻酔の注射

おしりの上あたりに麻酔の薬剤を注射器でチュ~っと注入。針を刺すときにチク!!

これが1回目の痛み。

皮下に薬剤が入っていく時も少し痛かった。

麻酔が効くまで少し時間を置くかと思いきや、比較的すぐに針を刺してみて

これは痛いですか~?

と麻酔の効果を確認し、効いているようならさらに深いところにも麻酔薬を追加で注入された。もうこの時は痛みはないが、緊張で手汗が半端ない・・・。

 

ついに穿刺器具がおしりに

 

骨髄穿刺針という特殊な針を刺していくわけだが、麻酔が効いているので、この時点では刺痛はなく太い針が刺さる圧迫感を感じる程度。

そして医師の声かけによって髄液が吸い取られる。

「ちょっと吸われる変な感じがするけど頑張ってー。1,2,3!」

にゅう~

あ、なんか腰から吸われた!体内からなんか抜き取られたなんとも言えないこの感覚。なんとなく魂抜かれるときってこんな感じかな?

変な感覚すぎて手に力がますます入る。こぶしが全然開かない。

「あれ、ひけない。もう一回やるね。」

先生~なんで?1回でいいよ~。

と思ったけど、どうやら白血病細胞がいっぱいでなかなかひけなかったという。

ここでも癌細胞の厄介さが十分に感じ取れた。

何回か吸引してなんとか髄液採取終了。

ここの吸引で結構痛がる人が多いと先生が言っていたけど、私は我慢できる程度だった。

は~終わった・・・

と思いきや、次は違う針でもっと奥まで!!!???

 

次は骨髄自体の組織を採取

 

今度は骨髄生検針を使って骨の内部の組織をとる。

針を刺すときに痛みをまた確認される。

さっきより骨の奥にグリグリ針が刺さってるよー。どこまでいくん???

やばい、痛いかも!先生!痛いかも!

麻酔追加。

さらにグリグリ。そのうち上から押される感覚。

「かたいな~。若いからかな~。」

先生が全身の体重かけて針で骨を削っている感覚!

これが痛い!ガコンガコン骨の音するよー。

麻酔効いてないじゃん!早く終わってー (´;ω;`)ウゥゥ

「こんなもんかな。はい、終わったよー」

はぁーーーーーー痛かった( ノД`)シクシク…恐ろしい検査じゃ。

先生が女医さんでよかった。これが男の先生だったらもっと痛いのかな?

なんて思っていたら、足元でドライヤーのぶお~んという音が。

何々?頭乾かされるんか?

どうやら検査技師さんも同席していたらしく、後で調べてみると採取した検体をスライドガラスに移し、素早く乾燥させることで良い検体が得られるそうな。

そして最後は止血。

今度は仰向けになり、穿刺部に砂袋を挟んで1時間安静。

1番はじめはここまで時間がかかる検査とは思っていなかったので、おトイレに行きたくなって1時間の安静ができなくて、看護師さんを困らせてしまった。

なので、次からは検査直前に必ずトイレを済ませておいた。

そして寝返りができないので、腰痛持ちの人とかは結構つらい。

入院中、寝たっきりで腰痛になり、1時間の安静が耐えられなくて、痛み止めを飲んだこともあった。

外来で検査を行う場合は、1時間の暇つぶしにWifiもって行ってスマホでテレビ見て過ごしたりもしていたな。

 

骨髄検査は1回だけじゃない

 

その後、抗がん剤投与後の効果を見るため4回も骨髄検査を行った。計5回だ。検査する医師によって、麻酔を追加してくれるしてくれない、検査の手技の素早さが違っていた。今思い返すと、何も知らない1回目が1番痛くなかったかもしれない。2回目以降は、次はどんな痛みかがわかっている分、力が入ってしまうし、気持ちの面でもやられる。そして一番最悪なのは、痛みを確認せず、どんどん検査を進めていく医者。痛い!って言っているのに、「がんばってね~」しか言わないで、何回も針を刺してゴリゴリ骨を削る医者。

書き方が雑になるくらいいまでも恨んでる (*`艸´)

大人になって人前であんなに泣いたのは初めてよ!!

 

痛いのは当たり前

 

最後に検査してくれた先生は教えてくれた。

「どれが一番痛かった?」

ときかれたから、最後のゴリゴリ(骨髄生検)するとこです。といったら・・・

「そうだよね、麻酔は皮膚から骨の表面までしか効かないからね。骨の中まで麻酔が効けばいいんだけどね。」

ですって!どおりでいくら麻酔追加してもゴリゴリが痛いはずだった。

生検の痛みは我慢するしかないようですよ。

あとは先生がいかに素早く採取してくれるかにかかってるってことね。

 

病名や個人でそれぞれ症状や感じ方、副作用の有無などは変わってきます。ここに書かれていることは、私の体験談であり、ほんの1例です。同じ病気で不安になっている人や患者の気持ちが知りたい医療従事者や私の周りの人に状況を知ってほしいと思って書いているので参考程度に読んでくださいね。

 

私、白血病になりました②~ついに告げられる~

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婦人科を受診しただけでは終わらなかった。

 

主人に血液内科へコンサルかけられちゃった。転科だってと電話で報告。

「大丈夫だよきっと。」

と、一応励ましのお言葉を夫にらもらったが、「一人で大丈夫?」ともいう。

やっぱり心配なんじゃん。嫌な予感してるんじゃん。おおごとになりそうな感じよね。

 

採血結果の紙をボーっと見ながら、しかしどこか緊張しながら血液内科の診察を待つ。

すぐ子供の風邪をもらうわたしが、ここ最近は感染もせず元気だった。だから、白血球が少ないなんて、ちょっと信じられなかった。

これからまた検査かな~。

検査が終わる頃は夕方になっちゃうかな~。

子供を預ける母に電話して遅くなるって言わないと。

連絡したら、下の子はお昼寝をしたところだった。

ぐずってないな。一安心。

自分の体の異常のことで頭がいっぱいだったので、どれくらい待ったかは定かではないが、それほど時間は経ってなかったと思う。

自分の受付番号が呼ばれ、診察室へ入った。

女医さんだった。

私が椅子に座って、開口一番に先生が血液検査の結果をみて言った。

 

血液内科医師「新乃さん、この数値は急性白血病で間違いないですね。すぐ入院してもらいます。」

 

はっきり言われた。それを聞いた私は、

 

やっぱりな。

 

追加の検査しないでもわかっちゃうくらい明らかなんだな。

 

ってな感じで、ショックというか、なにかの諦めというか、無駄な抵抗をする気はさらさらなかった。

 

数値 白血球 5(正常値40-80 単位10*2/μl)

   ヘモグロビン 9.8(正常値12-16 単位g/dl)

   血小板 1.9(正常値15-35 単位10*4/μl)

 

まずこれからのスケジュールはどうなるんだろ。

子供たちどうしよう。とりあえず今日の上の子のお迎えどうしよう。

いろいろ急展開すぎて、とりあえず自宅に帰って荷物まとめながら家族と入院中のことについて話し合いをしたかった。

だが、先生は「家には帰れません。これだけ血小板がすくなかったら、いつ出血おこしてもおかしくないし、脳内出血を起こしたら助かる見込みはないです。」

状況が深刻であることを次第に理解してきた。

自宅に一回帰ることも諦め、先生がたてたスケジュールに従うこととした。

急性白血病と言っても種類があって、その中のどの白血病なのかは追加の検査が必要だそうだ。それから治療方針が決まってくる。

血液内科の診察が終了したのは14:00。

 

診察が終わってから病棟へ行くまで

診察室を出てまず夫に電話をして病名を言った。

「マジか。といあえず今から帰るね。夕方の幼稚園のお迎えをしてから病院に荷物届けるよ。」

別居先から至急帰ってきてもらうこととした。そして子供たち2人を連れて主人の実家へ移動し、入院中の子供たちの面倒をお願いした。以前、つわりで2回ほど緊急入院しているから対応はスムーズにいった。

次に母に電話。状況を説明したいが、これがまた難しい。主人は医療従事者なので、1を言えば10の状況を把握してくれたが、母にはそうもいかない。

白血病だって。これから入院して治療になる。」

といっても、余命は?治療期間は?治療の効果は?1回帰って来れないの?と不安をあおるだけになってしまっただろう。まだ詳しい病名がわかっていないので、わたしも詳しく説明できず、とりあえず主人が子供を引き取りに行くと伝えた。主人がちょうどお仕事がお休みでよかった。そこから検査や、病院の売店で入院生活の必要なものをお買い物したり、自分のことに集中できた。

ただ、下の子は1歳だから心配はしていないが3歳の上の子は超ママっこ。説明なしに突然ママがいなくなったことを想像すると胸が痛かった。

ごめんね・・・。ママ頑張るから。

 

CT(頭部、腹部)

胸部レントゲン

心電図

骨髄検査(骨髄液、骨髄の生検)

ルート確保し補液開始(ソルデム3A)

採血(10本)

ストレッチャーで病棟へ移動と、病室にたどり着いたのは17:00。

朝から受診して、病棟まで行く間、これほど濃い日はなかっただろう。

 

次回へ続く。

 

 

私、白血病になりました①~血液内科にたどり着くまで~

バスルーム, 少年, 女の子, トイレ, 記号, 洗面所, 青呂

世界がコロナの対応に追われて、慣れない生活様式を強いられていた2020年5月、思ってもない病名を医師から告知されることとなった。

 

夫は病院勤務なので、コロナ感染を家庭に持ち込むことを恐れて別居生活をしていた。上の子の幼稚園は預かってもらえたが、下の子の保育園は休園になってしまいワンオペで仕事は続けていて、目まぐるしく日々は過ぎていった。だが、そんな中でもふと異常に気が付く。

・・・生理の量が多いな。

いつも始めの方は大抵出血量は多いし、こんなもんかな。

なんて1日様子を見ていたが、1時間もしないのに、どんなに大きな紙ナプキンがキャパオーバーとなり、毎時間トイレに駆け込み、外出ができなくなった。それ以外は至って元気で、とりあえず上の子のお迎えがあるので、次の日に子宮内の血が出きっていることを祈り一晩過ごした。

翌朝、心配になって真っ先にトイレに行こうとベッドから立ち上がった瞬間、滝のように股の間から温かい血が大量に流れ出るのがわかった。私は急いでトイレへかけこんだが、時すでに遅し。子宮に溜まっていた血が下着やパジャマという防波堤を乗り越え、ダムが決壊したかのようにトイレも血の海となった。

突然寝室からいなくなったママを、泣いて探している子供たちの声が遠くで聞こえる。そして上の子が家の廊下を走ってママを探している。しかし、血の海と化したトイレをそう簡単に子供も前で開けることができず、トイレの外の子供の泣き声を聞きながら、トイレの中にいる私は途方に暮れた。

きっとトイレのドアを開けると、子供は泣きながら抱っこをせがむだろう。そして大量の血を見てパニックになるだろう。考えるだけで疲れてしまったが、とりあえずここから出て着替えよう。

泣き叫ぶ子供たちを、意味もないのだろうが適当な言葉でなだめながら着替えを済ませ、洗面所で汚れた服を手洗いし、トイレの床を掃除し、とりあえず上の子を幼稚園へ送り出した。その間も、何度かトイレに駆け込み、ダムの決壊前に対処することに追われる。

結局数日経っても、出血量は変わらなかったということだった。出産を2回経験しているからわかった。出産より出血してないか?これ以上出血すると体がしんどくて動けなくなる・・・・。

 

そうなる前に病院行こう。

 

その日ちょうどお休みだった別居中の夫に病院へ行くことを伝え、万が一入院になった時のことを考えて、荷物を軽くまとめてあることを伝えた。下の子を母親に預けて、かかりつけの婦人科がある大学病院へいった。

 

診察を待つ間もトイレに何回も行って、ヒヤヒヤしながら待った。そして、先生に事情をはなし、エコーをしてくれた。

 

婦人科医師「エコーではもう血はほとんど残ってないね。子宮自体もきれいだから、今日入院ってこことはなさそうです。もうすぐ血もとまるとおもいますよ。処方するとしたら止血剤かな。」

 

いや~、ほっとした!下の子を産んだ時に子宮動脈を切って、塞栓術をしているからまた血管切れたかと思ったが、そうではなかった。あの時の激痛もないし、そんなことはないと確信に変わった。

 

婦人科医師「一応採血してからかえりましょうか」

 

家族には、とりあえず入院は免れた!!と喜びの連絡をいれていた。採血して結果が出たころに診察室によばれた。入室して、検査結果をみながら先生が言ったのは、

 

婦人科医師「ちょっと相談なんですが・・・。ここの数値がちょっとおかしいんですよね。すでに血液内科の先生に連絡しておいたから、今から行ってください。専門の先生に診てもらったほうがいい。」

 検査結果をみてゾっとした。

 

白血球、血小板、ヘモグロビン・・・低っ!!!

 

わたし「(相談したいって言ってたよね・・・?)もうコンサルしてるんですか???(マジか・・・嫌な予感がする)先生、詳しく検査しないとわからないことは重々承知なんですが、この結果から読み取れる病気ってなんですか?」

 

コンサル(コンサルタント略。専門医に相談すること)が早すぎる・・・。血液内科を受診するまで、この予感を引きずって待合室におとなしく一人で座っていることなんてできないって思った。だから仮でいいから早く診断名を言ってほしかったのだ。

 

婦人科医師「血液の病気はたっくさんあるから、検査しないとなんともいえないけど、骨髄にできものできていたり、、、、、、」

 

わたし「できものって・・・。(私わかるよ、薬剤師だもん。先生、はっきり言って。

わたし、癌だよね?)」

 

次回に続く。

病院薬剤師としてのポリファーマシー介入の第一歩はどうする?

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こんにちは、新乃すずです。

しばらくぶりの投稿になってしまいました。

 

実は5月に病気が見つかって入退院繰り返していたので、なかなか文章が書ける状況ではなかったのです。

今書いてる時点でも、病室のベッドから書いてます。

けれども、もう少しで退院できそうな兆し⁇

少し体調がいいので、まだUPできてなかった掲載記事をご紹介します。

また退院して、落ち着い頃に少しずつ今回の闘病記でも書いていきますね!

 

では、7月分の掲載記事です。

興味ある方は読んでみてください。

 

↓↓↓↓↓↓↓♡↓↓↓↓↓↓↓

pharmabox.jp

 

ポリファーマシーは「poly(多く)+pharmacy(薬・調剤)」と書きますが、単に多剤併用のことをいうのではなく、多くの薬によって有害事象が生じている状態をいいます。ポリファーマシーという言葉の背景にはいくつもの問題点が隠されています。そこで薬剤師の腕の見せ所です!今までポリファーマシー問題を敬遠していた薬剤師にとって、一歩踏み出すきっかけになるように、経験をもとに病院薬剤師としてのポリファーマシー介入方法をご紹介します。

 

点数化されている=やるべき仕事


まず、薬剤総合評価調整加算をご存じですか?これは、ポリファーマシーに密に関連している加算項目なのです。要は入院前に6種類以上内服していた患者の処方内容を入院中に検討し、入院前より2種類以上減薬できると250点算定することができます。
これは2016年度診療報酬改定時に新設されたものですが、今回の2020年度診療報酬改定でさらに見直されました。


(1) 薬剤総合評価調整加算 250点→100点
(2) 薬剤調整加算     150点(新設)
(3) 退院時薬剤情報連携加算 60点(新設)
(それぞれ退院時1回に限り算定できる。)


もともとの2016年度から始まった薬剤総合評価調整加算が今回の改定では、細かな要件はあるものの、患者の処方内容を評価した上で、処方内容の変更と指導を行うことで算定できる(1)と、退院時に2種類以上減薬できた場合の算定できる(2)に分けられたことになります。
ここで2つに分けたのには、ただ2種類以上減薬するのが目標ではなく、そこまでのプロセスである処方内容の評価や調整そのものを評価の対象にしたいという意図があるようです。
しかしながら、処方変更に関しての情報がなければ、元のかかりつけ医によって処方が戻ってしまうことは少なくありません。特に急性期は入院期間が短いため、退院後のフォローが必須となってきます。
そこで、入院前の処方の変更や中止になった経緯を文書で情報提供した際に算定できる(3)が今回の改定で新設されています。
このように、入院前からの処方内容を検討し、変更した場合は退院後のフォローにまでつなげる一連の業務が点数化されているということは、ポリファーマシー対策に薬剤師の技量が期待されているということなのです。

 

ポリファーマシーに陥るのはなぜか?


ポリファーマシーという言葉の背景には、減薬だけでは根本的な解決にはならないいくつもの問題点が隠されており、ポリファーマシーの原因として以下のような点が挙げられます。

 

~ポリファーマシーの原因~
・疾患数が多い、不定愁訴が多い
・薬の管理ができていない(危機管理や認知機能の低下)
お薬手帳を活用していない(同効薬重複・医療機関連携不足)
・処方カスケード(医師が副作用や有害事象を疑わない)
・加齢による生理機能の変化における薬物動態の変化(副作用が出現しやすい)

 

特に高齢になるほど疾患は増え、複数の診療科を受診するため、薬が増えていく傾向にあります。お薬手帳を持っていても、病院ごとに冊子を分けていたり、忘れる度に薬局で発行してもらうため何冊も持っていたりと、有効活用されていないことが多いです。また、医師が副作用と気づかず、患者の訴えのまま薬を処方し、それを繰り返して薬が増えるだけではなく、症状を重症化させてしまう処方カスケードも原因として少なくありません。

 

実際に私が行っていた薬剤師の介入方法


患者のスクリーニングは、まず薬剤師が、入院時の持参薬の鑑別をして、薬の数や、処方内容の理解度、管理方法等を総合的にみて問題点を抽出することから始まります。また、それ以外に医師や看護師から介入依頼をうけることもあります。

1、患者の背景を確認
まず情報収集が要となってきます。入院してきた時点で、内服内容や、処方元、処方理由、薬の管理方法を確認していきます。持参薬から収集できる情報は限られているため、本人・家族・他スタッフ・処方元医療機関への聴収(カンファレンス)が必須となり、それをもとに内服している薬の情報や、管理状況を整理していきます。
また、この時点で患者や家族の処方変更に関しての希望や薬に関しての悩みを傾聴しておくと、処方内容を評価する上で参考になります。
2、処方内容や管理方法の検討
集めた情報をもとに、薬剤師の観点から変更点の抽出、不要薬剤の選定、不足薬剤の検討、管理方法の妥当性を検討し、今後の服薬アドヒアランス向上につなげられるよう薬の整理を行います。
3、検討結果を提案 
整理した処方内容を変更理由とともに医師に処方提案し、相談した上で処方変更を検討してもらいます。管理方法について検討事項があれば、病棟のカンファレンスにて問題を共有し、他のスタッフと一緒に解決できるよう考えていきます。また、薬剤の包装の開封ができない患者がいれば、直接リハビリテーション科のスタッフに相談し、その患者にあった手技で開封できるように、入院中に練習してもらうこともあります。
4、本人・家族へ提案
医療スタッフで話合った結果(処方内容や管理方法)を本人や家族が納得されるまで指導・説明し、もし要望があれば、医師へ情報をフィードバックし、再度必要事項を検討します。
5、退院まで観察
退院まで残された入院期間を、薬の管理状況や処方薬剤に問題点がないかを確認する期間にあて、本人も不安がない状態で退院してもらいます。
6、退院後のフォロー
転院や施設への退院の場合は、薬剤師が「お薬の情報提供書」として、入院中の処方変更の経緯や、最終処方内容を記載して文書でお渡しします。自宅への退院の場合、情報提供書だけではなく、お薬手帳にもかかりつけ医師や薬剤師にお知らせしておきたいことや、指導を再度行って欲しい項目を書かせてもらいました。

 

ポリファーマシーを繰り返さないために


病院で実際に介入して感じたことは、お薬をきちんと管理できていないと入退院を繰り返す傾向があるということです。再入院を減らすためにも、管理者を明確にするために、入院中の薬剤師におけるポリファーマシー介入は必須となります。特に高齢の患者は主訴を伝えるので精いっぱいです。退院後のかかりつけ薬剤師を見つけるためにも、病院の外の医療機関との連携が大事になってきますので、その連携システムの構築も急いで行わなければならないところです。
診療科が少ない病院ではなかなか大幅な減薬には取り組みにくいかもしれませんが、診療科にとらわれない薬の知識を持ち合わせている薬剤師が主導となり、1剤からでもいいので、処方を評価してみてください。