私、白血病になりました⑤~冷静な自分と涙の夜~
「現代は2人に1人が癌になる時代」
と言われているし、私の祖父も伯父も癌で亡くなっている。
いつかは自分も癌になるんだろうなとは覚悟はしていたつもりだった。
そして実際に自分が癌ですと言われて思ったのは、
ついに来たのか、でも早くないかい?
まだ30代なんだけどな。
もう少し先かと思っていた。
じゃあ、第一弾ってことかな?
これを乗り越えたとしても、平均寿命までまだ倍以上の人生あるはずだが・・・
出し惜しみ?
それは、ご勘弁。
そして意外な場所の癌。
やっぱり人生って想像を超えてくるんだな。
以外と自分のことについては冷静だった。
診断名ついても私ら夫婦は取り乱すことなく、涙することもなく淡々と医師の話を聞いていた。
あとから同席していた看護師に言われて改めて冷静だったんだなと知った。
「すごく落ち着いて話を聞いてらしたから、ご職業を聞いて納得しました。」
しかし、この冷静さは覚悟を決めたからではないと思う。夫婦で医療人だと、この兆候はまずいぞ、、、お、これはいい兆候だ!など、自分の症状や検査結果、医師の話し方で良し悪しが概ね理解できるからだと思う。
だから治療スケジュールも、薬の副作用がどんなんかも概ね想像がつくから心の整理がつけ易いのだと思う。
だが、この病気には良い治療方法があるからと言って、この病気で数か月後に自分は死ぬのか生きるのかはわからない。誰も分からないのである。医師が、必ず治ります!と言わないように。
でも確かなのは、治療しないと取り返しがつかない事になるということ。
だから選択肢は一つ、この治療、やるしかない。内服薬はすでに始まっていて、後戻りはできないのだ。冷静に先生の説明を聞けたから覚悟が決まったのかもしれない。
ただ、実感はない。ほんとに自分の採血の結果かなぁ?取り違いしてない?と心のどっかでずっと疑ってた。というか、ドッキリなんじゃない?って。それくらい、この時点では元気だった。
夫が帰って一人で病室にいると、家の事や子供の幼稚園や保育園や習い事の事など全て近くに住む母親か夫にLINEで指示するので大忙し。
先生の話を聞いてない両親に、この病気の事も話さないといけなかったが、色々一段落した時間が消灯時間になってしまった。会話で説明するとなかなか明るい話題ではないから母の心配が膨らんでいく光景が良そうできたので、取り急ぎ先生の説明内容が書かれた無機質な用紙の写メを、送り読んでもらった。それからわからない事があったら聞いてもうらおうとおもったのだ。
その日のうちにやらなくてはいけない自分の雑用が終わると、ふと寂しくなった。
いつも寝るときは隣に3歳の長女がいるのに、今日はいない。
というより、ずっといないんだなと思ったら、涙がでてきた。
あの温もりや寝息が恋しかった。
ママが何も言わずいなくなってしまって、状況を把握できないまま1人で寝てる長女を想ったらもっと涙がでてきた。
だめだ!泣いたら力が入ってしまって脳内出血するんじゃないか!?と恐怖心が出てきて、必死に涙をこらえるが、なかなか止まらなくて焦る。泣くんじゃない!出血するなよ~。絶対するな~。と祈っていた。
子供のことになるとだめだな~。
前回の④の最後にも泣いたと書いたが、この時のことだ。こんなに泣いたのは闘病中、最初で最後かもしれない。
ひとしきり泣いたらやっと少し落ち着いてきた。
けれど結局この日は、朝からなかなか経験できない事がありすぎて、脳の神経が興奮していたのか、ほとんど眠れなかったのだ。
2年前も3年前もつわりで何か月か入院していたけど、また長期入院か、、、忍耐忍耐。
病名や個人でそれぞれ症状や感じ方、副作用の有無などは変わってきます。ここに書かれていることは、私の体験談であり、ほんの1例です。同じ病気で不安になっている人や患者の気持ちが知りたい医療従事者や私の周りの人に状況を知ってほしいと思って書いているので参考程度に読んでくださいね。